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近代写真の確立

1903年1月、A・スティーグリッツを中心に前年に結成されたフォト・セセッションの機関紙として『カメラ・ワーク』が創刊された。1917年まで季刊雑誌として刊行された『カメラ・ワーク』は、おそらく写真史上もっとも著名かつもっとも美しい写真雑誌だろう。和紙にフォト・グラヴェール法で注意深く印刷された印画(現在では、ほとんどオリジナルプリントと同等の価値を認められている)、スティーグリッツをはじめとしてE・スタイケン、アルヴィン・ラングトン・コバーン(1882-1966)、ガートルド・ケーゼビア(1852-1934)、クラーレンス・H・ホワイト(1871-1925)らによる素晴らしい作品、さらにG・B・ショー、S・ハルトマン、G・スタインらの写真の芸術性を論じた評論など、わずか千部ほどの発行部数であったが、毎号充実した内容が盛り込まれていた。
フォト・セセッション・グループの作品が、最初から近代的であったわけではない。スティーグリッツが1902年に宣言したように、彼らの目的は「ピクトリアル・フォトグラフィに身をささげているアメリカの写真家たちを、ゆるやかに結びつける」ことであった。彼らの初期の作品は、スティーグリッツも含めて、ヨーロッパのアート(ピクトリアル)・フォトグラフィの伝統を受け継ぎ、洗練させたものであった。
絵のような写真を目指すピクトリアリズムの美学に代わって、現実を直裁に見つめ、ネガに手を加えることなしに引き伸ばす「ストレート・プリント」が提唱されるようになるのである。スティーグリッツは、1890年にドイツ留学から帰国後、「探偵カメラ」と蔑まれた、フィルムを使用するハンド・カメラ(小型手持ちカメラ)で、ニューヨークの街を撮り始める。
スティーグリッツの影響を受けて、フォト・セセッションの他の写真家たちも、「ストレート・プリント」の美学を追求し始める。その中でもっともラディカルだったのは、『カメラ・ワーク』の最終号となる49-50合併号(1917年6月)に作品が特集されたポール・ストランド(1890-1976)であろう。
カメラやレンズのような「機械」によってとらえられた映像を、ピクトリアル・フォトグラフィのように人間の眼の印象や絵画の理想美に近づけるのではなく、ストレートにプリントに定着していくこと-写真というメディアの独自性を打ち出したそのような考えこそ、「近代写真」への道を開くものだったのである。
スティーグリッツが道を開いた「近代写真」を、正統的に受け継いだのはエドワード・ウエストン(1886-1958)である。
エドワード・ウエストンを中心に、1932年に、イモージェン・カニンガム(1883-1976)、アンセル・アダムス(1902-84)、ウィラード・ヴァン・ダイク(1906-)らによって結成されたのがf64グループである。