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日本の戦後写真

第二次大戦前の日本の「芸術写真」や「新興写真」の時代をリードしたのは、アマチュア写真家たちだった。アマチュア写真家クラブが主宰する写真展や、懸賞写真(月例写真)を募集していたカメラ雑誌を舞台にして、自由な創作意欲あふれる作品が発表されていた。 戦後もその状況は基本的に変わらない。1946年に『カメラ』が復刊し、49年には『アサヒカメラ』が復刊する。『フォトアート』(1949)、『日本カメラ』(1950)、『サンケイカメラ』(1954)、『カメラ毎日』(1954)などのアマチュア向けのカメラ雑誌も次々に創刊された。また戦後の復興とともに、国産カメラがいっせいに発売され写真は大衆の趣味として広く受け入れられていった。アマチュアたちの写真熱は、戦前にも増して高まりつつあったのである。
そのアマチュアたちのエネルギーを、社会性の強い主題を撮影する方向に組織しようとしたのが、リアリズム写真運動である。1950年、傷痍軍人、娼婦、かつぎ屋など戦後の混乱期の世相を直視した写真を『カメラ』に発表していた土門拳(1909-90)が、同誌の月例写真の審査員となる。かれは「絶対非演出の絶対スナップ」「カメラとモチーフの直結」を提唱し、1952年から審査員に加わる木村伊兵衛とともに、アマチュアたちにカリスマ的な影響を及ぼした。のちにプロになった東松照明(1930-)、川田喜久治(1933-)らも、このリアリズム写真運動の中から登場する
しかし、惨めな現実にのみ目を向ける、いわゆる「乞食写真」が横行し、題材や手法が固定していくなかで、1955年頃には運動自体が枯渇していく。土門の『ヒロシマ』(1958)、『筑豊のこどもたち』(1960)、木村の「秋田」シリーズ(1953~)など、運動の成果を生かした作品も生まれるが、リアリズム写真運動には、アマチュアが中心的な担い手であるという弱みが常につきまとっていた。
 同じく1950年代に、アマチュアに一部のプロを巻き込んで展開されたのが、「主観主義写真」の運動である。ドイツのオットー・シュタイナート(1915-78)が提唱したサブジェクティブ・フォトグラフィを日本的に解釈したもので、暗室作業によるモンタージュ、形態の単純化、ブレや素粒子の効果など、反リアリズムとでもいうべき、イメージ形成の実験が繰り広げられた。1956年には本庄光郎(神戸)、後藤敬一郎(名古屋)、阿部展也(東京)、瀧口修造(東京)、三瀬幸一(東京)らによって、日本主観主義写真連盟が結成されるが、やはり作品の形式化によって、運動自体は短命に終わる。
50年代の後半になると、写真を報道写真や商業写真のような応用分野に閉じ込めておくのではなく、自立した映像自己表現の手段として確立していこうとする、若い写真家たちの動きが活性化してくる。その中心となったのが東松照明、奈良原一高(1931-)、川田喜久治、細江英公(1933-)、佐藤明(1930-)、丹野章(1925-)の六人によって、1959年に結成されたVIVO(エスペラント語で生命の意味)である。VIVOの写真家たちは1930年代の生まれであり、戦前から活動していた土門拳、木村伊兵衛、浜谷浩などとは違って、?戦後派?の新しい感受性と方法意識を持っていた。従来のリアリズム=報道写真的な、事実の平板な描写を超え、現実に対してあくまでも主観的、感覚的なまなざしを向ける態度が強調される。奈良原一高のいう「パーソナル・ドキュメントというべき方法」の模索である。
1968年11月『PROVOKE』という季刊同人雑誌が創刊された。同人は写真家の中平卓馬(1938-)、高梨豊(1935-)評論家で当時は写真も発表していた多木浩二(1928-)、詩人の岡田隆彦である。二号からは森山大道(1938-)が同人に加わった。
「プロヴォーク」(挑発)という誌名にふさわしく、同人たちの写真にはラディカルな表現意欲があふれていた。60年代末は各大学の学園闘争をきっかけに燃え広がった、政治・文化制度への根本的な異議申し立ての季節であった。『PROVOKE』の同人たちは、大衆消費社会のメカニズムのなかに拡散し、リアリティを失ってしまった「人間と世界を全体化するものとしての知」を目指す「思想のための資料」(『PROVOKE』のサブタイトル)を提示しようとしたのである。
一方、60年代末には、『PROVOKE』の荒々しいラディカリズムとは一見対照的な写真のスタイルも登場していた。N・ライアンズが企画した「コンテンポラリー・フォトグラファーズ、社会的風景に向かって」(1966)の影響を消化した、いわゆる「コンポラ写真」である。日常のさりげない事象に寄せる関心、多用される横位置の構図、対象との醒めた距離感などは、確かにL・フリードランダーや、そのルーツであるR・フランクの写真との共通性が見られる。しかし牛腸茂雄(1946-83)、下津隆之(1942-)、鈴木清(1943-2000)などに代表される「コンポラ」の写真家たちは、彼らと現実(自己と他者)との関係の網の目を、写真というメディアを通して検証する作業の中で、そのスタイルを選び取っていったともいえる。1983年に急逝した牛腸の『SEL FAND OTHERS』(1977)は「コンポラ写真」の厚みと豊かさを結晶させた。奇妙に心を揺さぶる写真集である。