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写真論、写真史を考える写真ギャラリーです。是非ご覧ください。

はじめに

私が希望しているのは、写真をはじめた人が知ってほしい写真の常識や教養をこれを素材として学んでほしい、ということだ。写真は、押せば写る、という機械の結果なのではない。カメラは、いや、フイルムは確かに事物の表面に反射した光を届いたかぎりですべて受容する。しかし、レンズが取り込む光は、どこに向けるかで受容する範囲も違えば、絞りによって取り込む光量も違う。さらにプリントを焼く手作業が介在することで、写真家が見せる領域を潰したり、あえて明るくしたりの、手心を加えることが可能だ。そういう、写真の構造性をよく知ったうえでカメラを操作することが大切だ。そのためには、写真という技術が生み出された時代の裏側、社会的・芸術的・歴史的・人類学的背景を常識として知っていただきたいと切望する。 「問題は過去を克服することではありません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と言う私の好きなフレーズを述べたのは、ワイツゼッカー元独大統領である。現在しか写せない写真が過去に目を閉ざしていったい何が写るというのか?そうして、もうひとつ、私が写真についてモノを書いたときには、つねにこれだけの歴史・社会的バックを背負って、同時代への責任をも負って、語っているのだ、ということを知っておいていただきたいと思う。
 人間は、直立して前方を見る動物である、と言った人がいる。だから、自分の後ろ姿は見えないと。確かに後ろ姿は見えないが、鏡を使って見れないことはない。写真はそこから外を見る「窓」である、と同時に自分をそこに写して見る「鏡」でもある、とはニューヨーク近代美術館の写真部長だったジョン・シャーカフスキーが四半世紀も前に言ったことである。私たちは鏡も窓も持っているのに、そして、双方の機能を使い分けられるのに、ひとつしか使わないのはもったいない。
 だから、この本では写真の歴史的・社会的背景を語り、そのあとに個々の写真家の苦悩と闘いを見たうえで、最後に写真論に近づくというアプローチをとった。