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写真論、写真史を考える写真ギャラリーです。是非ご覧ください。

反解釈の写真

-ニューヨーク博物館

北島はニューヨークでの「楽しい恐怖」という緊張が構造化された日常の中で写真において問題なのは写真(家)そのもの以上に写っているもの(被写体)であり、したがって感動やすばらしさ、驚きや涙、不思議や怒り、笑いに出会うには、そのような出逢いの可能性のある場所に自らを置くこと、つまり自分がいかなる生活を送り、いかなる人間として生きるかということが本当の問題なのだ。
ものの意味としてでなく存在として見えるようになったのである。
存在として見えるということはものがオブジェとして見えるということでありオブジェの光景のなかに隠喩を発見し、それをテコに見る側の想像力を喚起する自分のまなざしを獲得したということである。精神が物化したこの都市で、彼はオブジェのなかに石化した精神を見出す眼を持ったのである。磨けば輝く?原石?を発見する眼を持ったのである。